Statement

 以前、私は不思議な体験をした。

部屋を覆いつくすすべての事物が、突然、そのものに備わっている意味を喪失し、

なにか得体の知れないものとして目の前に迫つてきたのである。

そのとき、私は「私」の存在意義を失ってしまい、私がどこの誰であるのかさえ分からなくなってしまった。

なぜならば、「私」とは、自分が生活している周囲の事物や風景を通して認識された記憶が
一つ一つ集積したものとして存在しており、一旦その認識の過程の歯車が狂いはじめると、

私は別の「私」として存在することになるからである。

したがって、目の前にある世界は、そのもの自体の一般的な意味とは合致することがなく、
私とのある関係性の中においてこそ捉えられるべきものである。

 「集積された記憶」を疑うこと。そして、その視点から世界を眺めること。

そこには事物が存在することの意味を問いなおすという私なりのアプローチの仕方があるように思えるのだ。