火急の用件で出かけた先の帰途。

 乗客のまばらな電車に揺られながら、いつのまにか半睡の態で座っていると、
突然、「バァーン!」という衝撃音で目が覚めた。慌ててあたりを見渡す。

けれども、車内は普段と変わりなく、電車も通常運行を続けていた。

 しばらくして、視界がおかしいことに気がついた。周囲の景色がぼやけて見えるのだ。

不審に思い、目のあたりに手をやると、眼鏡の感触がいつもと違う。

どうやら眼鏡フレームの付け根の金具が経年劣化のせいで引きちぎれ、フレームはあらぬ方へ跳ね上がっていた。そのうえ、いつのまにか片方のレンズがなくなっていたのである。

急いで家へ戻ると、棚の奥からボール紙を取り出し、それをレンズのかたちに切り抜いた。つづいてお手製の"眼"を描き、元の眼鏡を懐かしむように破損したフレームへ接着剤で固定した。ひとまずこれで急場をしのぐ。

 もちろん、視界は幾分不鮮明だが、ただ残念なのは、フレームのかたちがいびつで不恰好なのである。手にとってそれを正そうとした瞬間、力加減を誤った。今度はせっかく新調したばかりの"お手製のレンズ"がすべり落ち、床へ脱ぎ捨ててあったジャケットのポケットの中へ転がりこんでいってしまったのだ。

ポケットの中を探ると、馴染みのない手触りが一つ。やおらそれを取り出す。それは電車の中で失くなったはずの元のレンズだった。

そして困ったことに、そこへ映りこむ一つの眼がジッとこちらを凝視してくるのであった。


「にせ眼ッ子」 2022

 指をきる。

 鋭利な刃物で切り落とすのか、或いはガーデニング用の剪定鋏で断ち切るのか、それとも錆つき刃こぼれした鋸を無理強いして挽きちぎるのか。手段はどうあれ、ひとつずつ指を切り離す。そしてさらに細切れにする。小一時間もあれば、一皿に山盛りの指の標本が積みあがる。続いて、その断片をこれまたひとつずつ市販の糸で丹念に縫い合わせていく。その都度できあがったそれは収納ケースへ並べ、押入れの奥に保管する。

 今日は天気がよいので押入れからそれを取り出し、竹で編んだザルの上に天日干しをする。太陽からの強烈な日差しを浴びると、それはみるみるうちに皺くちゃになり、今や干からびた皮膚の張力のせいで指先は天へ向かって反り返っている。

 夜、その縮みあがった指を水の中で一晩寝かす。そして翌朝、新しい鉢へひとつずつ植え込んでいく。

 数日後、その鉢を覗いてみると、縫い合わされた指と指とのわずかな間から乳白色の小さな突起が芽吹いていた。なおも観察を続ける。やがてそれは手に成長し、そして突然、前屈みの姿勢でもって、恐る恐る土から這い出ると、のっそりと鈍重に鉢をのり越え、向こうの茂みの中へ掻き消えていってしまった。


「指の銀行」 2019

​ どうやら私はモンステラに取り憑かれてしまったようだ。

赤い背表紙のスケッチブックを片手にぶら下げ、植物園に出かけて行っては、何時間でもモンステラを観察している。

 モンステラは熱帯地方原産の植物で、深い切れ込みの入った大きな葉が特徴である。

茎の根元付近が次第に膨らみ、そこから枝分かれしながら新しい幼葉が成長する。

ただ、冬になると東京の気候が甚だ堪えるせいか、パッタリと成長は止み、身動き一つしなくなる。

 このモンステラの不思議な生態に取り憑かれ、私はいつのまにかそれに倣うようになった。

今では、部屋の床一面に土を敷き詰め、冬の寒さにも負けないよう暖房設備を完備して、モンステラにとって最適の生育環境を整えた。

 ところが、土からの湿気と臭気だけはどうにも我慢ならず、急いで窓を開け放つ。

するとどうした訳か、目の前にはモンステラの巨大な葉の重なりが視界を遮った。

よく見ると、葉同士のわずかな隙間からは件の植物園の柵がうかがえる。

 そして、その柵の向こうから、赤い背表紙のスケッチブックをぶら下げた男がやって来て、
​まるでアカの他人でも眺めるように、ジッとこちらの様子を観察してくるのだった。


「ふくら芽」 2018

​ ​​獣のような、人のような「それ」が住んでいる。

 体の真ん中にある天板から下には足がにょっきりとのびている。ないのもある。その足は膝の下までのびた体毛に覆われ、手入れをされた様子はない。一方、天板から上に胴体はない。すぐに頭部らしきものになる。目はいつのまにか退化したせいで、はっきりとは確認できない。それなのにどうしたわけか鼻だけは居丈高にその存在を主張している。

 一見して、「それ」は臆病でしごくおとなしい。しかし、一旦腹をすかせば奇声を発し、なにをしでかすのか油断ならない。

​とにかく、今すぐにでも捕まえて、追っ払うことがまずもって肝要である。だが、そもそもどうやって・・・・?

 ところで、先程から私の背中に触れるものがある。ふと振り返ると、目の前には異様に肥大した「それ」の鼻先が迫っていた。見ると次第に大きくなり、いまや周囲を圧する勢いで、巨大な鼻だけが部屋の中へ鎮座していた。

 そして困ったことに、どこからか耳鳴りのように聞こえてくる声が、「よぅ、兄弟!」と執拗に呼びかけてくるのであった。


「解体シン書」 2014

 そして、「その場所」はそこに現れた。

 高架下の薄明かりしか届かない場所に、確かにそれはある。

かつてそこは、無名の人々がどこかしら疚しい気持ちを携え、にもかかわらず、ある高揚としたハレの日に、自らの内の欲情と羞恥心とをソッと懐にしまいこみ、彼等彼女等はうつむきかげんに足をはやめ、そして密やかに通う場所であった。

 今、その足音を静かに受けとめてみる。

恐らく、そこは日常と非日常の境界線をすり抜ける所謂「避暑地」としての役割があったのではないか。

さらに言えば、都会の人々が夢見るひとつの逸脱した世界、否、「楽園」がそこにはあったはずなのだ。

 だが、今、盛時の記憶は頭上からの車輪の濁音とともにかき消されていく運命にあるのだろうか?

たぶん、そうではない。線路下に冷たくそそり立つ鉄筋コンクリートの壮観な眺めは、ほんのすこし前の、名もなき人々の人間的な営みの痕跡を内にとどめている。​ならば、その冷たい柔肌に潜む痕跡を「その場所」で静かに受けとめてしかるべきであろう。

 そう、「その場所」はいつのまにか姿を変えてしまったけれど、やはり今も、そこにある。


「湯気の発明」 2012

 ​ある日の新聞の見出しより。

 《遭難ス》

 一体いつ、どこで、誰が、そしてその日の天候は・・・・?俄かに気になり、その新聞を手に入れ、詳細を調べてみる。

 《捜索隊は既に派遣されており、懸命に救助作業を続けている。だが今のところ手掛かりはなし》とある。

さらに読み進めていく。

 《・・・・捜索隊の前にはだだっ広い草原が広がっていた。その向こうにある坂道を上っていく。すると、遠くの方から繰り返し聞こえてくる声があった。歩みを止め、声のする方へ耳をすます。 ​風に揺れる葉音に紛れ、震えるように漏れ聞こえてくるその声は、確かにこう叫んでいた。

「ワレ、遭難セズ!」

隊員はさらに歩みを進めた。》

 間もなく発見となるのだろうか。だが、そうはならない。その声は連なる山々に反響し、そして風に吹き流され、どこから聞こえてくるのか皆目見当もつかないのだ。

 《隊員は一斉に四散する。結局、だだっ広い草原に四散した隊員は、日が暮れてからも帰ってこなかった。隊員のそれからの行方は誰も知らない・・・・》

数日後、草原の奥にある茂みの中から皺だらけになった紙キレが発見された。その中には走り書きが一つ。

-ワレ、遭難ス

と。


「しのぶ耳」 2013

 某日、散歩の途中、とある「道標」に出くわした。

その「道標」が芋蔓式に連なってあちらの彼方まで続く眺めは甚だ壮観で、遥か先には地平線が広がっていた。

​ 次に、もと来た道を振り返る。こちらも幾多の「道標」が連なり向こうの彼方に地平線が見えた。

辺りを見渡すと、歴史ある支那風な建物があるわけでなく、また過剰な装飾で自己主張するネオンサインが目を引くのでもなく、
さらには見覚えある知人の家があるわけでもなかった。

ただ、一時代前の写真が褐色に染め上げられるように、周りの景色は全部ひとまとめにのっぺりと無表情、
そして不気味な有り様で「名もなき風景」の中に封じ込められていた。

 ふと我に返り、再び歩き出す。

果たして、踏み出した先はあちらの彼方への一歩であったのか。それとも、こちらの彼方への一歩であったのか。

正に大問題ではあるのだが、「名もなき風景」を前にして方角を失い、行き先は判然としない。

 暫くすると、何処かから同じような境遇となった大勢の人が集まり、
何処かに「道標」はないかと探し廻りながら、瞬く間に目の前を通り過ぎてしまった。


「茂与利の“モ”」 2010

​ その家は四方を壁で囲まれ窓枠が一つあるのみである。勿論、ドア、引き戸といった入口の類はない。

​どうにかして中を覗き込もうとするのだが、具合の悪いことに窓はカーテンで閉じられている。

 家の周囲をめぐり、何処かに入口はないかと探しまわる。

やっとのことで、家の中を観察できる僅かなひび割れた壁の隙間を見つけた。壁に手をあて、その隙間へ顔を近づける。

なかは真っ暗闇、しかし、目が慣れるにつれかたちあるものがぼんやりと姿を現す。

どうやら家のようである。元の家と寸分違わずそっくりな、ただ大きさだけが小さくなって、そこにある。

 次の瞬間、ふと後ろを振り返る。いつの間にか真っ暗の黒い壁が周囲にそそり立つ。

さらにその暗闇を凝視する。遠くの方には外の景色を眺めることができる窓枠が一つ。

​「外」から「内」を覗くのか、「内」から「外」を眺めるのか。

 気がつくと、例のひび割れた壁はポッカリと口をあけて待っている。

今やいつでも家の中へ入り込めるというのに、連続する「外」と「内」との間で茫然と立ち尽くし、
いつまでも家の内部を夢見ている。


「うつろの家」 2009

​ 今、「部屋」をひとつの立方体として考えてみる。

まず、その立方体を平台のうえに静置し、上側の水平面と同じ高さに観者の視点を固定する。

次に、上側の水平面の四つある角のうち、観者から遠いほうの二つの角のどちらか一つを上方へ持ちあげる。

 そうすると、立方体の上面は、静置してあったときは正方形であったものが、見かけ上、菱形のようなかたちとなる。

この過程で立方体の上面はより垂直面へ近づいていく。つまり、二次元へと近づくことになるのである。

 翻って、私の描いた「部屋」の絵を眺めてみる。その「部屋」は右上方から見下ろす角度で描かれている。

その結果、床面は立ちあがり、ちょうど上述したのと同じような格好となり、奥行きのある空間は減少していくが、
​画面の垂直面には近づいていくのである。

 絵を描くとき、私の考えていることの一つは、奥行きのある空間をより画面の垂直面へ近づけていくことである。

そしてもう一つは、その空間と画面の垂直面とのあいだへ、ある「つい立て」のようなものを配し、
​その互いの重なりで別の浅い空間を画面上につくりだすことができはしないのかということである。

 今回、垂直面へ近づいた空間に介在するその「つい立て」のありようを考察する。


「殻まわり」 2005

「扉」

 こちら側からあちら側へ行くことができるのかもしれない。

具体的な場所を定義してこちら側、あちら側と区別しているのではない。

ただ漠然と、ある境界のようなものがあり、そのどちらかをこちら側とするならば残りがあちら側になるということである。

 こちら側からあちら側のひとつの連続した世界を仮に断ち切るために、「扉」を置いてみる。

その「扉」を通してあちら側がすこしだけ見えている。近づいていけば、あちら側へ行けそうなのだが、近づくたびにその「扉」は離れていってしまう。

​そして、気がついてみると、開いていると思っていた「扉」は閉まっているのである。

 扉は開いているのか、閉まっているのか、どちらかである。


「水浴」 2004

 例えば、脱ぎ捨てた靴下を画面に描くとする。

出来上がったそれは、目の前にある実際の靴下の像とは一致することがない。

何も写実的な意味において一致しないというのではない。

靴下に備わっている日常の風景との断絶によって、別の風景がそこに広がることになる、という意味において一致しないのである。

つまり、靴下の意味する存在から靴下自体が解放されるのである。

 特定の意味から解放された単体としての靴下は画面の中に新しい風景を必要とする。

そして、その新しい風景を描くことから私の制作は始まっていくのである。


「あしのしあ」 2004

『タライの旅』とそれから

 前回の展示が終わりすぐにでも次の制作に取りかかるつもりでいた。

しかし、実際に画面へ向かうとまったく描く気分にはならなかったのである。新しい作品についての具体的なイメージがなく、「描く」という気持ちだけが空回りしていたと思う。そのような煩悶する日々のなかでも『タライの旅』は頭の中から離れずにいた。

 約一ヶ月後、ふたたび画面に向かい『タライの旅』を無理にでも押し進めようと意地になって描きはじめた。

鉛筆を動かし、次第にかたちになっていく画面を眺めながらその中に新しい発見を探そうとしていた。

けれども、描き進めていくうちに、出来上がった画面の実像と私のイメージとの間に一種の違和感を抱くようになってしまったのである。

 『タライの旅』を描きはじめた頃のタライや黒く渦巻く液体がもっていた強烈なイメージもかつてのように私を興奮させてはくれなかった。

その理由は、『タライの旅』が私の中である程度決着がついてしまったからなのだ、ということになると思う。

 そう思えるようになった頃、頭の中でゆっくりとだが何かが芽を吹き、膨らんできたのである。

『タライの旅』が中心になるはずの展示が、気がついてみると「わき道」へ一歩踏み出していたように思う。

その「わき道」がどのように膨らみ、決着がつけられていくのか。今回の展示がその発端となってくれればよいと思っている。


「クラバコ」 2003